畑福俊英
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| 基本情報 | |
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| 国籍 |
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| 出身地 | 秋田県 |
| 生年月日 | 1913年1月31日 |
| 没年月日 | 1981年5月23日(68歳没) |
| 身長 体重 |
177 cm 75 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 投手 |
| プロ入り | 1936年 |
| 初出場 | 1936年7月1日 |
| 最終出場 | 1943年10月27日 |
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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選手歴 | |
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監督歴 | |
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この表について
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畑福 俊英(はたふく としひで、1913年1月31日 - 1981年5月23日)は、秋田県出身のプロ野球選手(投手。右投右打)、野球指導者。
横手中学から専修大学を経て、1934年に大日本東京野球倶楽部(翌1935年より東京巨人軍)結成へ参加しプロ入り。日本プロ野球最初のリーグ戦(日本職業野球連盟)を開始した1936年7月3日の対大東京戦に先発登板し6イニングを1失点に押さえて巨人球団史上初の公式戦勝利投手となった[1][2]。1937年以降は新設したイーグルス(1940年途中より黒鷲軍、1942年より大和軍)へ移籍。1937年に春季・秋季シーズン合わせて32敗を喫しているが、これはプロ野球記録とされている中山正嘉の29敗(1940年。金鯱所属時)よりも多い。1939年に応召され、1941年の途中に除隊。1943年に退団。
退団後は社会人野球・三菱鉱業美唄炭鉱野球部の選手兼任監督(投手)を経て、専修大学松戸高等学校で監督を務め、1966年にNHKのドキュメント番組『ある人生』で特集されている。