畠山昌人
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引退後
小学校時代はSSS札幌サッカースクールに在籍し山瀬功治や赤井秀一とチームメイトで親交を持つ。小中学を通じて、サッカーの札幌市選抜に選ばれ、高校にスポーツ推薦の話もあった。経歴の中で北海道で試合をしたのはただ一度。常にアウェイでの戦いであった。
高校入学後はボクシングに専念し、1999年6月21日、札幌協栄赤坂ジム所属でプロデビュー(4R判定勝ち)[5][4]。
1999年12月17日、3戦目で後のOPBF東洋太平洋ライトフライ級王者林田龍生と対戦し、4回判定勝ちを収める[4]。
2000年8月7日、5戦目で林田龍生と再戦。4回判定負けを喫する。
2002年7月8日、日本ライトフライ級王者北野隼と対戦し、最終回に北野からダウンを奪うも、ジャッジのミスでスリップ扱いにされる。結局、この判定が響いて10回引き分けとなり、日本王座獲得に失敗[5]。これに対しジムの抗議および署名活動がなされ、日本ボクシングコミッションがミスジャッジの裁定を下し、再戦が決定される[5][4]。
2002年11月11日、日本ライトフライ級王者北野隼とダイレクトリマッチを行い、10回判定勝ちを収め王座を獲得した[5][4]。
2003年4月21日、高山勝成と対戦し、序盤から高山の手数に押され気味だったが、後半から盛り返し、9回逆転TKO勝ちで初防衛に成功[4]。
2003年7月21日、小山泰裕を相手に2度目の防衛戦を行う。8回TKO勝ちで2度目の防衛に成功した[4]。
2003年10月20日、OPBF東洋太平洋ライトフライ級王者の山口真吾と対戦し、序盤は畠山、終盤は山口が押す一進一退の攻防の末、10R引き分け[4]。
2004年2月16日、林田龍生と3度目の対戦。両者最後の対戦となったこの試合は、畠山が10回判定勝ちを収め、3度目の防衛に成功した[4]。
2004年6月21日、宮城英和と対戦し、10回引き分けに終わり4度目の防衛に成功した[4]。
2004年9月20日、増田信晃と対戦し、10回判定負けを喫し5度目の防衛に失敗、王座から陥落した。
2005年3月21日、半田友章と対戦し、10回判定勝ち。再起に成功する[4]。
2005年6月28日、ペット・サクルンルアンと札幌行札幌メディアパーク・スピカで初の凱旋試合を行い4回TKO勝ちを収める[4]。そのリング上で、増田信晃への再戦と、世界王座奪取をアピールする。
しかしその数日後、畠山が右目の異常を訴え、網膜裂孔・網膜剥離と診断される。
2005年8月16日、JBCのルール規定により、正式に現役引退を発表。その際、畠山は専門誌のインタビュー「試合に出られなくなっても、何らかの形で大好きなボクシングは続けます」とコメントしている。
2005年11月21日、後楽園ホールで引退式が行われた。引退式のリング上で畠山は「自分の人生はまだこれから。ボクシングで学んだ経験などを大切にして、挑戦する気持ちを忘れずに、これからも戦い続けていきたい」とコメントを残し、8年間のプロボクサー生活に幕を下ろした。
2005年9月下旬、約1か月の入院生活を終え、現役時代に所属していた札幌協栄赤坂ボクシングジムでトレーナーを開始する。
2006年8月2日にWBA世界ライトフライ級王座決定戦(ファン・ランダエタ対亀田興毅)を観戦した際は、自身のブログ内で、判定に対する不服感と、自身が現役時代に追い求めていた世界王座が「ありえない」形で亀田に渡ってしまったショックを訴えていた。
戦績
- プロボクシング:20戦14勝(5KO)3敗3分
| 戦 | 日付 | 勝敗 | 時間 | 内容 | 対戦相手 | 国籍 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 1999年6月21日 | ☆ | 4R | 判定 | 生澤誠(沖) | プロデビュー戦 | |
| 2 | 1999年9月20日 | ☆ | 2R | TKO | 竹中章裕(新松戸高橋) | ||
| 3 | 1999年12月17日 | ☆ | 4R | 判定3-0 | 林田龍生(渡嘉敷) | ||
| 4 | 2000年6月9日 | ☆ | 4R | 判定 | 小川利樹(沖) | ||
| 5 | 2000年8月7日 | ★ | 4R | 判定0-2 | 林田龍生(渡嘉敷) | 東日本新人王敗退 | |
| 6 | 2001年3月11日 | ☆ | 6R | 判定 | 伊波秀吉(具志川) | ||
| 7 | 2001年6月18日 | ☆ | 6R | 判定 | 長谷部弘康(協栄) | ||
| 8 | 2001年7月24日 | ★ | 8R | 判定 | 家住勝彦(レイS) | ||
| 9 | 2001年10月29日 | ☆ | 8R | TKO | 家住勝彦(レイS) | ||
| 10 | 2002年4月6日 | ☆ | 10R | 判定2-1 | 宮城誠(帝拳) | ||
| 11 | 2002年7月8日 | △ | 10R | 判定1-0 | 北野隼(ヨネクラ) | 日本ライトフライ級タイトルマッチ | |
| 12 | 2002年11月11日 | ☆ | 10R | 判定3-0 | 北野隼(ヨネクラ) | 日本ライトフライ級タイトルマッチ | |
| 13 | 2003年4月21日 | ☆ | 9R 2:34 | TKO | 高山勝成(エディタウンゼント) | 日本防衛1 | |
| 14 | 2003年7月21日 | ☆ | 8R 2:35 | TKO | 小山泰裕(ワタナベ) | 日本防衛2 | |
| 15 | 2003年10月20日 | △ | 10R | 判定1-0 | 山口真吾(渡嘉敷) | ||
| 16 | 2004年2月16日 | ☆ | 10R | 判定2-0 | 林田龍生(渡嘉敷) | 日本防衛3 | |
| 17 | 2004年6月21日 | △ | 10R | 判定1-1 | 宮城英和(金子) | 日本防衛4 | |
| 18 | 2004年9月20日 | ★ | 10R | 判定0-2 | 増田信晃(駿河) | 日本王座陥落 | |
| 19 | 2005年3月21日 | ☆ | 10R | 判定3-0 | 半田友章(宇都宮) | ||
| 20 | 2005年6月28日 | ☆ | 4R | TKO | ペット・サクルンアン | ||
| テンプレート | |||||||
獲得タイトル
- 第29代日本ライトフライ級王者(防衛4)