白倉道佐 From Wikipedia, the free encyclopedia 白倉道佐(しらくら みちすけ、生年不詳 - 天正8年3月17日(1580年4月1日))は戦国時代の武将。上野白倉城主。白倉氏。父は白倉重佐。通称、左衛門尉、民部。子に白倉重家、白倉重治。 白倉氏は上州八家の一つであり、代々山内上杉氏に仕え、先代・重佐の頃には関東管領・上杉憲政のもと、四宿老の一人に数えられていた[1]。 白倉道佐は、上杉憲政、上杉謙信に仕え[2]、上杉謙信が鎌倉で関東管領就任の儀式をしたさい、側近として付き添った[3]。 しかし武田信玄が箕輪城の上野長野氏を攻めると城を支えきれず、永禄6年(1563年)信玄に降った[4]。その後は、内藤相備え組衆として高山氏、多比良氏、木部氏、あまお氏、倉賀野氏、後閑氏、長根氏と共に内藤昌秀及び内藤昌月に配された。 天正8年(1580年)3月17日、後北条氏との戦いにより戦死した。法名は、白倉院殿天漢道佐大居士。 脚注 ↑ 『講談社日本人名大辞典』講談社、2001年 ↑ 『関東幕注文』下野足利衆の長尾同心として小幡道佐として名が記されている。 ↑ 『甲陽軍鑑』 ↑ 『箕輪城と長野氏 (中世武士選書)』近藤義雄、戎光祥出版、2011年 Related Articles