白木秀雄

日本のジャズ・ドラマー、バンドマスター (1933-1972) From Wikipedia, the free encyclopedia

白木 秀雄(しらき ひでお、本名:柏倉 秀康[1][2][3]1933年1月1日[4] - 1972年8月22日[5])は、日本のジャズドラマー[4][1][2]

出生名 柏倉 秀康
生誕 (1933-01-01) 1933年1月1日
死没 1972年9月1日遺体発見(39歳没)
概要 白木 秀雄, 基本情報 ...
白木 秀雄
基本情報
出生名 柏倉 秀康
生誕 (1933-01-01) 1933年1月1日
出身地 日本の旗 日本 東京府東京市神田区
死没 1972年9月1日遺体発見(39歳没)
学歴 東京芸術大学中退
ジャンル ジャズ
職業 ドラマーバンドマスター
担当楽器 ドラムセット
活動期間 1951年 - 1969年
事務所 渡辺プロダクション
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経歴

東京府東京市神田区(現・東京都千代田区)の酒屋に生まれる[6]錦城高校ではハーモニカ・バンドに所属してドラムを担当し[6]、ハーモニカを川口章吾、ドラムを奥田宗宏に師事した[6]。やがてプロのジャズミュージシャンを志すようになり[7]、1951年に東京芸術大学音楽学部打楽器科に進学した[3](のちに中退[8])。この年の東京芸大打楽器科の新入生は2名だけで、もう1人は後に指揮者となる岩城宏之であった[3]

東京芸大在学中からプロのジャズ・ドラマーとして活動を始めた[7][3]。大学側が学生の学外演奏活動を表向きは禁じていたため芸名で活動することとし、本名の「柏倉」の「柏」の字を分けて「白木」とした[3]。まずキジ西村(西村喜次、トロンボーン)の勧めでブルーコーツに参加した[7]レイモンド・コンデとゲイ・セプテット(ジョージ川口の後任)[7]河辺公一とゴールデン・チャリオティアーズ[7]を経て、1953年に初のリーダーバンド、白木秀雄トリオを結成するが間もなく解散[7]。与田輝雄とシックス・レモンズ(フランキー堺の後任)[7]小野満とフォアブラザーズ[7]を経て渡辺プロダクションに所属し、1957年4月に白木秀雄クインテットを結成した[9]。同年に制作された石原裕次郎主演の映画『嵐を呼ぶ男』では、石原のドラム演奏シーンにおいてドラムのアテレコを担当し[10]、映画の主題歌『嵐を呼ぶ男』のシングル盤ではバック演奏も担当した(「白木秀雄とオールスターズ」名義)。

1959年には水谷良重と結婚し[11]1963年離婚)、時代の寵児としてマスコミを賑わせた[11]。『スイングジャーナル』誌の読者人気投票のドラム奏者部門で1957年から1967年まで11年連続で第1位を獲得し[12]、白木秀雄クインテットとしても同誌読者投票のコンボ部門で1958年から1965年まで8年連続で第1位を獲得する[12]など、本業のジャズ演奏でも高い評価を得ていた[12]

1961年6月にスタートしたテレビ番組「シャボン玉ホリデー」には、所属する渡辺プロの共同制作番組であったこともあり、白木は頻繁に出演している。この番組の企画でクレージーキャッツハナ肇とドラム合戦も行った[13]

1965年10月、ヨアヒム・ベーレント英語版の招きに応じて白木秀雄クインテットとしてベルリン・ジャズ・フェスティバル英語版に出演するが[14]、この時期が活動の頂点となった[15]。ベルリン遠征時のトラブルが原因となって帰国後にメンバーの3人が脱退した[14]。白木の私生活の乱れ(睡眠薬の乱用[16])もあって活動は低迷し[17]、クインテットは1968年5月に解散に追い込まれた[14][17]

1969年頃にジャズ界から離れていたが[1]1972年9月1日、赤坂のアパートの自室で死亡しているところを発見された[1][2]行政解剖によると、死因は精神安定剤過剰摂取と見られ、遺体が発見された時点で死後10日ほど経過していた[5]

白木秀雄クインテット

構成は白木秀雄のドラムに加えてテナーサックストランペットピアノ、およびベース[9]。メンバーには入れ替わりが度々あり、各楽器で以下のようなミュージシャンが参加していた。

後の日野=菊池クインテット(日野皓正菊地雅章を中心としたコンボ)のメンバーの多くは白木秀雄クインテットの元メンバーである[17]。日野皓正は白木クインテットの解散前から、演奏しなくなった白木の代わりのドラマーとして実弟の日野元彦を呼び、日野皓正クインテットとしてライブ活動を始めていた[17]。白木クインテットの解散は、実態としては白木だけが追い出されたような形であった[17]

ディスコグラフィ

2000年代半ばに再評価の機運が高まり、主要盤はほぼ再発売された。

リーダー作品

  • 『白木秀雄』 - Hideo Shiraki (King) 1958年(初リーダー・アルバム)
  • 『白木秀雄リサイタル』 - Hideo Shiraki Recital(1959年6月28日録音)(King) 1959年
  • 『祭りの幻想』 - In Fiesta (Teichiku) 1961年
  • 『プレイズ・ボッサ・ノバ』 - Plays Bossa Nova (King) 1962年
  • 『プレイズ・ホレス・シルヴァー』 - Plays Horace Silver (King) 1962年
  • 白木秀雄クインテット&スリー琴ガールズ, 『さくらさくら』 - Sakura Sakura(1965年11月録音)(SABA) 1965年(ベルリンにおいて録音)
  • 『白木秀雄・加山雄三の世界』- 白木秀雄クインテット(Toshiba)1966年
  • 『ファンキー!登場』 (Think!) 2006年

コンピレーション

  • 『ステレオ・ドラム&ブラック・モード』 - Stereo Drum / Black Mode (Think!) 2006年
  • Play The Funky! (King) 2006年

参考文献

  • 多田辰三「今月のスタァ診断 白木秀雄への期待」『スイングジャーナル』第11巻第4号、スイングジャーナル社、1957年4月、12-15頁、NDLJP:2299923/7
  • 「新バンド罷り通る」『スイングジャーナル』第11巻第5号、スイングジャーナル社、1957年5月、8-13頁、NDLJP:2299924/5
  • 「ジャズ映画「嵐を呼ぶ男」クランク・イン」『スイングジャーナル』第11巻第12号、スイングジャーナル社、1957年12月、26頁、NDLJP:2299931/14
  • 「白木秀雄の結婚記念LP」『スイングジャーナル』第13巻第4号、スイングジャーナル社、1959年4月、52頁、NDLJP:2299955/27
  • 「仲野彰4月より白木秀雄のコンボへ」『スイングジャーナル』第17巻第3号、スイングジャーナル社、1963年3月、56頁、NDLJP:2300001/33
  • いソノてルヲ、スイングジャーナル編集部「白木秀雄の死を悼む」『スイングジャーナル』第26巻第12号、スイングジャーナル社、1972年10月、211頁、NDLJP:2299786/106
  • 岩城宏之 著「柏倉秀康君の死」、文藝春秋 編『巻頭随筆』文藝春秋社文春文庫 217-1〉、1979年6月25日、268-271頁。NDLJP:12467264/136初出:『文藝春秋』第51巻第13号、1973年9月。
  • 服部公一「ジャズへの訣別: 白木秀雄――最後のドラム・ソロ」『クラシックの喫煙室』音楽之友社、1976年、7-26頁。NDLJP:12432203/7初出:『文藝春秋』第51巻第10号、1973年7月。
  • 内田晃一「白木秀雄クインテット」『日本のジャズ史: 戦前戦後』スイングジャーナル社、1976年、275-277頁。NDLJP:12434048/164
  • 「WHO'S WHO IN JAZZ 国内ジャズ・ミュージシャン編」『スイングジャーナル』第42巻第6号、スイングジャーナル社、1988年5月、389-475頁、NDLJP:2300090/195
  • 油井正一「双頭コンボ日野=菊池クインテットの全貌」『スイングジャーナル』第34巻第10号、スイングジャーナル社、1980年8月、230-233頁、NDLJP:2300151/118
  • 小林信彦「『シャボン玉ホリデー』の健闘に注目」『エルヴィスが死んだ: 小林信彦のバンドワゴン1961→1976』晶文社、1977年、71頁。NDLJP:12431522/39※初出:『朝日新聞』1964年8月25日

脚注

外部リンク

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