明治20年(1887)、木伏源兵衛は「亀屋」という汁粉屋を営んでいたが、夏場に客が入らなかった[1]。そこで、源兵衛の息子の源松が支那そばを提供することを思いつく。1921年、源松が横浜での修業を経て、手打ちラーメン屋「亀源」を創業した[1]。これが白河ラーメンのはじまりとされる[1]。
1969年開店のとら食堂が、白河手打ちラーメンの代表格とされる[2]。同店の初代店主である竹井寅次が作るラーメンが美味しいと評判になったことから、市内から弟子入りを志願する人達が竹井のもとを訪れ、彼らが独立してラーメン店を出店。さらに、彼らの店で修業した人たちが独立して店を出すという連鎖を繰り返すことで、手打ちのちぢれ麺に醤油ベースのスープという白河ラーメンのスタイルが、市内各地へと広がるに至っている[3]。
現在は白河市内に100店を超える店が存在し、観光資源の1つになっている[1]。また、首都圏などにも白河ラーメンを出す店が広まっている。