白金未桜
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柔道は3歳の時に蟻クラブで始めた[1]。夙川中学2年の時に全国中学校柔道大会40㎏級で優勝した[1][3]。3年の時に佐久長聖中学へ転向した[2]。佐久長聖高校2年の時にインターハイと全日本ジュニア57㎏級で2位になった[4][5]。全国高校選手権では3位だった[6]。3年の時にはインターハイで2位、全日本ジュニアで3位だった[4][5]。
2024年に筑波大学へ進学すると、1年の時には全日本ジュニアの決勝で福岡大学3年の大野萌亜を破って優勝した[5]。世界ジュニアの個人戦では2回戦で敗れたが、団体戦で優勝した[7][8]。2年の時には全日本選手権に出場すると、3回戦で78㎏級の選手であるパーク24の和田梨乃子を有効、準々決勝で70㎏級の選手であるJR東日本の寺田宇多菜を2-1の判定で破るなどして決勝まで進むも、78㎏級の選手である大阪府警の田中伶奈に大外刈で敗れたが、57㎏級の選手ながら体重無差別で争われる今大会で2位となった[2][9][10]。優勝大会では3位だった[11]。全日本ジュニアでは2連覇を達成した[12][13]。世界ジュニアでは決勝でカザフスタンのダナ・アブディロワを横四方固で破って優勝した[14][15]。団体戦では準決勝まで全て勝利すると、決勝のフランス戦では自分の出番が来る前にチームが優勝を決めた[16][17]。体重別団体では準決勝の東海大学戦で2階級上のアイ・ツノダ・ロウスタントと引き分けるも、チームは敗れて3位だった[18]。講道館杯では決勝でJR東日本の大森朱莉に反則負けして2位だった[19]。12月のグランドスラム・東京では準決勝で大森に払巻込で敗れて3位だった[20]。初開催された学生混合団体では決勝の東海大学戦で反則勝ちするなど全勝して、チームの初代チャンピオンに貢献した[21][22]。グランドスラム・タシケントでは決勝で地元ウズベキスタンのシュクルジョン・アミノワに反則負けを喫して2位だった[23][24]。3年の時には体重別の準決勝で大森に出足払で敗れた[25]。なお、アジア大会代表には選ばれた[26]。続く全日本女子選手権では初戦で今大会で優勝した63kg級の選手である警視庁の渡邉聖子に0-3の判定で敗れた[27]。