小2から野球を始め、埼工大深谷高校ではエースとして3年春夏ともに県大会ベスト8。城西大学では4年生の時に大学選手権に出場して登板、1997年のドラフト7位で同僚の礒恒之とともに千葉ロッテマリーンズに入団。変則サイドスローで、即戦力投手として期待されていた。
しかし、1年目は肩の故障に悩まされ、1軍の試合はおろか2軍の試合にさえも1試合も登板出来なかった。
2年目も肩が完治せず、結局2軍の試合にわずか1試合、2/3イニングを投げただけに留まり、一度も1軍に上がる事も無いまま戦力外通告を受け、引退した。
引退後は、実家の鉄工所の会社役員を務めている。