白鳥氏
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歴史
南北朝時代に南朝側として寒河江氏と共に活動した[1]。その後所領を安堵されて鎌倉府に仕え、応永9年(1402年)鎌倉府に反乱を起こした伊達持宗の家人が立てこもる苅田城を寒河江氏らとともに取り囲んでいる[2]。室町時代には享徳の乱に際して室町幕府が古河公方足利成氏を討伐しようとした際に白鳥十郎義郷の名がみえる[3]。『羽陽北仙伝記』では1512年最上義定の北進に従った。伊達氏の内訌天文の乱では、最上義守の援軍として稙宗方に参加した。白鳥長久の永禄・元亀(1558年~1573年)頃、中条氏の居城谷地城に進出した。寒河江氏・天童氏と姻戚関係を結び、国人領主として一定の影響力を有した。最上氏の内訌である天正最上の乱では両者の間をうまく立ち回り、和睦の仲介者として名を高めた。天正5年(1577年)、長久は織田信長に名馬白雲雀を献上した。十郎長久の贈り物に接した信長は喜び、返礼として書状とともに虎皮や豹皮、紅花などを贈ったという。しかし、この事が最上義光の警戒を生み、信長没後の天正12年(1584年)長久は山形城に呼び出され殺されてしまう。長久を失った白鳥氏は最上氏の侵攻に寒河江氏の助力を持って当たるものの、寡兵敵せず滅亡し、一族は青森県や宮城県、長野県などへと落ち延びたという。