白鹿城は宍道湖の北岸に位置し、美保関及び中海の水運を押さえる商業・経済の要衝であり、
尼子氏の支城中、随一といわれた堅城でもあった。この為、尼子十旗中の第一とされ、松田氏が城主に当てられた。
永禄6年、毛利氏が出雲に侵攻すると、その勢いに押され一時松田氏は毛利氏に下った。しかし間もなく、処刑された本城氏の扱いに不信を募らせた松田満久・誠保父子は尼子方に復帰し、白鹿城に拠り毛利氏に抗した。このため毛利氏に攻められ、尼子倫久による後詰勢も敗退したことから、力尽きた白鹿城は開城、松田氏は没落し、白鹿城は廃城となった。