百々世草
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『百々世草』の作者である神坂雪佳(1866-1942)は、16歳の頃に四条派の鈴木瑞彦に師事して画家となった[2]。画業に携わるうちに工芸図案に関心を持つようになり、図案家で帝室技芸員の岸光景に師事した[3]。光景は本阿弥光悦に強く私淑して琳派に傾倒しており、雪佳もその影響を受けて琳派に傾倒していった[4]。以降の雪佳は図案家として図案の考案や後進の育成に力を注ぎつつ[3]、琳派風の絵画を制作したほか、1890年以降には琳派によくみられるモチーフの図案化を手掛け、これらの図案は図案集の形でまとめて出版された[5][6]。そのうちひとつが『百々世草』であり、雪佳の代表作とされている[5]。1909年5月8日に芸艸堂から第1巻を刊行したのを皮切りに、同年12月8日に第2巻を、1910年2月8日に第3巻と、計3冊が刊行された[7]。
内容
雪佳による琳派風の図案が各巻20図ずつ、3冊合わせて60図収録されている[7][6]。雪佳は『百々世草』と同様の図案集を全部で10冊刊行している[6]。雪佳の図案集は、工芸品への応用を第一義としたものと、版画芸術として鑑賞されることを第一義としたものの二種類に大別でき、本作は後者の代表的な作品にあたる[6]。

琳派でよくみられるたらしこみ[注釈 2]という技法の木版画での再現を試みている。例として「軒端の梅」では柱や梅の幹に墨のにじみを活かした表現がみられ、単純な画面構成の作品ながら奥行きのある印象になっている[8]。また、琳派初期に俵屋宗達と本阿弥光悦が多数手がけた料紙装飾の、シンプルな画面構成に大胆な色使いという特徴を踏襲しており、全体的にモチーフを大きくクローズアップした構図を多用する[8]。これによって平凡な主題であっても斬新かつ大胆な表現として成立している[8]。
モチーフ選択も俵屋宗達ら過去の琳派の絵師からの影響を強く受けており、例として「鶴」「雷」「龍」「春日野」などはいずれも宗達が描いたモチーフである[9]。一方で前例をそのまま模倣するのではなく、雪佳らしいアレンジが加えられている[9]。宗達の『風神雷神図屏風』を下敷きにしたと思われる「雷」は、コミカルな雪佳風の表情に描かれており、宗達の雷神が裳をまとっていたのに対して、雪佳では当時の赤鬼・青鬼のイメージから借用したふんどしをまとっている[9]。他の「龍」や「暫」などからも、主題をコミカルで親しみやすい造形にアレンジする傾向がみられる[9]。京都市産業技術研究所工業技術センター研究員の比嘉明子は、『百々世草』は借用する主題から刺激的なモチーフを取り除いて牧歌的な空間を作り上げ、一方で大胆な画面構成を採用することによって魅力的な作品に仕上がっているのだと述べている[10]。
評価
比嘉明子は、琳派的なモチーフを神坂雪佳独自の美的感覚で再解釈した作品であると述べ、近代琳派を代表する雪佳の意匠世界がよくあらわれた作品として重要であると評価している[6]。また、本作が版画芸術による図案集であることは、『光悦謡本』などの版本装丁や料紙装飾を多数手がけたとされる本阿弥光悦とも重なる点があると指摘している[6]。
パナソニック汐留美術館の川北裕子は、本作は絵画的要素の強さが特徴であると述べ、「対象のクローズアップや明快な画面構成などは、琳派の手法に学びながら、おおらかで洗練された雪佳様式へ到達したことを示す」と評価している[11]。「八つ橋」はエルメスの季刊誌の表紙に採用されたことがある[11]。