百間堀川
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歴史
阿波堀川の開削以降、江戸時代に入り、次々と下船場には運河が開削されていったが、当運河はそれらの運河を木津川に流す為に掘られた。当初の長さは約569mだったが、右岸の江之子島に江之子島下ノ鼻新築地ができた1767年(明和4年)に約646mとなり、江之子島上ノ鼻新築地ができた1779年(安永8年)に約721.5mとなった。
大阪大空襲によって大量に出た瓦礫の処分や、戦災復興土地区画整理事業によって下船場の運河が次々に埋め立てられていってしまうと、当運河も当然のごとくその役目を終え、埋め立てられてしまった。
- 阿波堀川、1600年(慶長5年)開削。1956年(昭和31年) 埋立。
- 江戸堀川、1617年(元和3年)開削。1955年(昭和30年) 埋立。
- 京町堀川、1617年(元和3年)開削。1955年(昭和30年) 埋立。
- 海部堀川、1624年(寛永元年)開削。1951年(昭和26年) 埋立。
- 立売堀川、1626年(寛永3年)開削。1956年(昭和31年) 埋立。
- 薩摩堀川、1630年(寛永7年)開削。1951年(昭和26年) 埋立。
百間堀川は、
- 1600年(慶長5年) 開削。
- 1964年(昭和39年) 埋立。