盧懐慎
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霊昌県令の盧悊の孫にあたる。若くして廉潔謹慎で、進士に及第し、監察御史・吏部員外郎を歴任した。神龍年間、侍御史に転じた。景龍年間、右台御史中丞に転じ、時政の得失について上疏した。その上疏は聞き入れられなかった。黄門侍郎に累進し、漁陽県伯の爵位を受けた[3][4]。
先天2年(713年)、侍中の魏知古とともに東都洛陽で選事を分掌した。開元元年(同年)、長安に召還されて、同紫微黄門平章事(宰相)となった。開元3年(715年)、黄門監に転じた。懐慎は紫微令の姚崇とともに国政の機密を管掌した。懐慎は自ら吏事について姚崇に及ばないとみなしていたため、事あるごとに姚崇を推して譲った。当時の人に「伴食宰相」と呼ばれた。開元4年(716年)、吏部尚書を兼ねた。その秋、病が重くなり、上表を重ねて引退を請願し、許可された。10日ほどで死去した。荊州大都督の位を追贈された。諡は文成といった[5][6]。