目黒富士
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新富士
択捉島を探検した幕臣で、富士講団体とも親交のあった近藤重蔵が、1819年(文政2年)に中目黒「別所坂」上の別邸内に築かせた[4]。上目黒の元富士と区別して「新富士」のほか、「東富士」「近藤富士」と呼ばれた。こちらも眺望よく、参詣者が多く集まったという。なお、この新富士がある近藤家別邸の土地は、後に近藤重蔵・富蔵父子の没落に繋がる1826年(文政9年)の「鎗ヶ崎事件」を招いた。新富士も1959年(昭和34年)に破壊された。近くにある別所坂児童遊園に、山腹にあった石碑類が残されている[5]。
胎内洞穴
新富士の麓には、実際の富士山麓にある信仰対象となった溶岩洞(人穴など)を模した「胎内洞穴」が掘られていた。1991年(平成3年)に、新富士跡地を含む遺跡(新富士遺跡)の発掘調査が行われた時、この洞穴も発見された[6]。洞穴は頑丈なローム層に掘られた横穴で、最奥には本尊とみられる大日如来座像があった[7][8]。胎内洞穴は型取りされて樹脂で実寸大復元され、大日如来像と共に目黒区めぐろ歴史資料館に展示されている[9]。


