相島新田
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小字
小字は以下の通り[4]。
- 堀前(ほりまえ)
- 悪水落(あくすいおち)
- 古堤(ふるつつみ)
- 堀向(ほりむこう)
- 中津(なかつ)
- 向中津(むかいなかつ)
- 水内植出(みずうちだし)
- 千間堤下水神前(せんげんつつみしたすいじんまえ)
- 下水神前(しもすいじんまえ)
歴史
江戸期は相島新田であり、下総国相馬郡のうち。江戸前期から手賀沼開墾により成立した新田村。寛文年間に開発され、天和2年から手賀沼新田請方の反高場となり、年貢を上納。享保10年までは布佐村下あるいは布佐村分と称した所のうちと思われ、幕府領。享保15年筧播磨守により手賀沼古新田のうち相島新田として検地され村高21石余、さらに明和3年・寛政6年にも検地が行われ、村高27石余となり、以後村高は「天保郷帳」「旧高旧領」ともに27石余で、「元禄郷帳」には見えない。慶応2年の割付によると、田2町8反余。小物成には、鳥猟運上永1貫880文、沼役永333文。鳥猟の布瀬村を親浜とする浜組へは天保7年から参加。検地帳での屋敷数は、享保年間1、明和年間2[5]。
年表
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[6]。
| 番地 | 小学校 | 中学校 |
|---|---|---|
| 全域 | 我孫子市立布佐南小学校 | 我孫子市立布佐中学校 |
施設
- 井上家住宅
- 手賀沼終末処理場