相翁松の碑
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概要
経緯
誓い
1884年(明治17年)、当時東京帝国大学の学生であった坪野平太郎、阪谷芳郎、添田壽一の三人は、春期休暇を利用して、共に東京から熱海への旅行へと出かけた。その途上、足柄下郡江ノ浦村の街道沿いに老松があり、三人はそこで休憩することにした。老松は枝ぶりが良く、またそこからの相模湾の眺めも爽快なものであった。三人はその老松の下で将来を語り合った。そして、「我々は親の恩恵により学問を修めている身であるが今、又、ここに爽快な景色を見、大いに英気を養うことができた。将来、立身したならば此の地に碑を建てよう」[1]と誓い合った。
出世と再会
その後、三人はそれぞれ次の形で立身出世を成し遂げた。
老松の下での誓いから23年経った1907年(明治40年)3月、三人は約束通り江ノ浦を再訪し、かつての老松の下に石碑を建立した。碑は、坪野書、文は阪谷の撰、筆者は添田によっている。
