県祭り
京都府宇治市の祭
From Wikipedia, the free encyclopedia
概要
分裂開催

梵天渡御は本来、宇治神社御旅所→県神社(神移し)→宇治神社へ渡御→県神社(還幸祭)のルートで行われていたが、2003年に還幸祭が行われなかったことで御輿の担ぎ手である「県祭奉賛会」と県神社の関係がこじれ、2004年から神社側が独自に梵天渡御を行うなど分裂状態となった。2014年は奉賛会側が自粛する形で神社側のみの梵天渡御を行ったが、その後も関係改善が成されず、2015年から再び分裂開催となった[2]。
これには以前よりあった宇治神社と県神社の対立が関係しているという。関西学院大学の調査によると、両神社の対立は1965年に顕在化し、1968年には裁判にまで発展、その後和解と対立が繰り返されていた[3]。対立は両者の祭神観の違いにあり、木花咲耶姫命を祭神とした独立した神社であると考える県神社に対し、宇治神社側は、県神社は宇治神社の祭神菟道稚郎子の母神にあたる宮主矢河枝比売命(みやぬしやかわえひめ、宮主宅媛みやぬしやかひめ)を祀る末社であるとする[3]。この認識の違いに加え、祭の主導権争いや金銭的な問題もあったと見られている[3]。
その後、コロナ禍での中断を経て、2022年以降は県神社側のみが行い、奉賛会側が「祭の正常化を目指す」理由で自粛。2026年以降は県神社側に一本化されることで関係者の合意を得た [4] 。
