真崎堰
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真崎堰は、五城目町帝釈寺地内にある「真崎堰頭首工」を起点とする用水路である。その受益地は五城目町、井川町、潟上市(旧飯田川町域を含む)の3市町に及び、この地域の広大な農地を支える重要な水利施設となっている。古くは、統合前の複数の堰を総称して「三本堰」と呼ばれた歴史を持つ。
歴史
開削と真崎長右衛門
真崎堰の歴史は、1617年(元和3年)、佐竹藩の家臣でこの地の地頭であった真崎長右衛門が、自身の知行地を開田するために馬場目川に堰を築いたことに始まる[1]。
当時、現在の五城目町・井川町付近は広大な低湿地であり、農業開発には大規模な治水と利水が必要不可欠であった。長右衛門は、一日市(ひといち)、大川、夜叉袋(やしゃぶくろ)など、後に「真崎七ヶ村」と呼ばれる地域の良田化を目指し、私費を投じて堰の建設と新田開発を強力に推進した[2]。
三代にわたる事業と三本堰
この大規模な開削事業は長右衛門一代で完成したものではなく、世継ぎの正親・政綱と三代にわたって脈々と受け継がれた継続事業であった[1]。
当初、この地域には以下の3つの取水口(堰)が独立して存在していた。
- **真崎堰**
- **大川堰**
- **一日市堰**
これらは総称して三本堰(さんぼんぜき)と呼ばれていた[1]。後の時代、これら3つの堰が整理・統合され、現在の「真崎堰」としての形態が整えられた。この難事業を成し遂げた功績により、真崎長右衛門家は秋田藩より加増を受け、地域住民からも深く感謝されたと伝えられている[3]。
近代・現代の改修
戦後、かつての木造や石造の施設はコンクリート製の頭首工として整備された。
- 1981年度(昭和56年度)より、老朽化対策と水管理の効率化を目的とした大規模な改造工事が開始された。
- 1984年(昭和59年)、総事業費約2億7千万円をかけ、近代的な自動開閉式水門を備えた新施設が完成した。これにより、洪水時の流木対策や魚道の整備など、環境にも配慮した現在の姿となった[2]。
施設と管理
- 真崎堰頭首工: 帝釈寺地内の馬場目川に位置する。
- 受益面積: 約903ヘクタール(五城目町・井川町・潟上市)。
- 管理: 馬場目川水系土地改良区が運用・保守を担っている[4]。


