真木不二夫
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東京出身。岩手県立釜石商業高等学校(現・岩手県立釜石商工高等学校)卒業後に江口夜詩の門下に入り、1942年(昭和17年)、ポリドールレコードから小谷潔の名でデビュー。1943年(昭和18年)、大東亜レコード(ポリドールレコード)末期に「港離れて」などを吹き込んでおり、中でも「南海の首途」がヒットしていた。
戦後、真木不二夫と改名して、1949年(昭和24年)11月、テイチクレコードから再デビュー。1952年(昭和27年)、「泪の夜汽車」がヒット。
1955年(昭和30年)に出した「東京へ行こうよ」は3万枚を売り上げたが、その後放送禁止、発売禁止になる《(1955年(昭和30年)から1956年(昭和31年)にかけての神武景気で、電化製品の普及に伴い漫然と都会に憧れ家出をする少年少女が現れ出し、こうした家出奨励のような歌は好ましくないという理由だった》[1]。他のヒット曲に「パラダイス東京」、「泣くな片妻」、「霧の港」、「泪の連絡船」、「丘の上の白い校舎」、「空が晴れたら」などがある。
1954年(昭和29年)、美ち奴との同棲が発覚し、妻子ある真木は周囲の顰蹙を買い、6年の交際の上、1957年(昭和32年)に別れる(美ち奴はそのストレスから、自律神経失調症を患ってしまう)。
NHK紅白歌合戦に4回連続出場という実績がある(詳細は下記参照)。
1968年(昭和43年)12月5日に肝硬変のため49歳で死去。
