宇部商業高では、四番打者、中堅手として1963年夏の甲子園県予選決勝に進出するが、下関商業高の池永正明に完封を喫し甲子園出場を逸する。
高校卒業後は、ダイハツを経て、1967年にドラフト外で阪神タイガースへ入団。
1968年にはジュニアオールスターにも選出されるが、一軍では3年間出番がほとんどなく、1970年オフに第1回選抜会議(トレード会議)の対象となり、近鉄バファローズへ移籍。
1972年には18試合に先発マスクを被るが、岩木康郎や同じく阪神から移籍した辻佳紀の壁を破れなかった。翌年以降は梨田昌孝や有田修三の台頭などもあり出場機会が減少、1974年限りで現役を引退した。