岩木康郎
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浪速高校では3年次の1963年は打率.420で5本塁打をマークし、夏の府大会では準決勝に進出するが、和田徹を擁する明星高校に敗れて甲子園出場を逸する。明星はそのまま甲子園でも優勝している。
プロ入りを希望して知人からスカウトの根本陸夫を通してテストを受けると[2]、1964年に近鉄バファローズへ入団。吉沢岳男や児玉弘義の存在もあって二軍暮らしが長かった。
1969年には正捕手に抜擢されて104試合に出場し、チーム初の2位躍進に貢献。
1970年には阪神から移籍してきた辻佳紀に定位置を譲る。その後は有田修三と梨田昌孝の台頭もあって出番が減少、一軍出場は1974年が最後となる。
1977年9月20日の日本ハム戦ダブルヘッダー第1試合(後楽園)では登録外でブルペン捕手を務めていたが、5回表の本塁上クロスプレーによる乱闘へ参加して日本ハムの選手に暴行を加え、球審の五十嵐洋一から退場を命じられる。登録外の選手が退場を受けるのは稀である。なお、現役時代は405試合に出場して一度も退場はなかったが、ウエスタン・リーグで1度退場処分を下されている[4]。1979年限りで現役を引退。
引退後も近鉄に残り、2004年までコーチ、スカウト、スコアラーを歴任。スカウト時代には太田暁、野茂英雄らを担当。2005年からは合併したオリックスでスコアラーを務めた。