大垣市矢道町の産土神社である。
創建時期は不詳。美濃国神名帳の「正三位矢剱大明神」であるという[2]。
平将門の首は京都に送られさらし首となったが、関東へ戻ろうと飛び立った。南宮大社の隼人神(南宮大社の境内社、隼人神社の祭神火闌降命)が将門の首にめがけ矢を放つと、矢の通り道に鎮座していた矢剱大明神が更に神威を加わり、荒尾に射落とされたという[2]。
明治初期までは境内社として十禅師権現、高山権現、長宮師神社があった。このうち十禅師権現はかつての南宮大社の二宮(現・南宮大社摂社樹下神社)、高山権現はかつての南宮大社の三宮(現・南宮大社摂社高山神社)と同一の祭神と推測されている。