矢山有作
日本の政治家
From Wikipedia, the free encyclopedia
来歴
岡山県津山市小桁に生まれる。旧制岡山県津山商業学校(現・岡山県立津山商業高等学校)を経て、1949年中央大学法学部卒業、会計検査院事務官となる。1951年に退職後、津山市議会議員を1期、岡山県議会議員を2期務めた[2]。1962年の第6回参議院議員通常選挙に岡山県選挙区から出馬し、トップ当選。参議院社会労働委員長などを歴任し、2期務めた[3]。その後1976年の第34回衆議院議員総選挙に黒田寿男の後継として出馬し、当選した。3年後の第35回選挙では次点で落選したが、翌年のハプニング解散による第36回選挙で復帰、3期務めた。その後1986年の第38回選挙に落選し、1988年春、政界を引退。社会党広報委員長在任中には、党の親しみやすいイメージづくりの一環としてバラのマークを発表。
その後は市民運動家としてライフワークでもある日本原駐屯地問題をはじめ、国鉄労働問題や苫田ダム反対運動、平和問題などに取り組み、9条を守る活動など護憲派として活躍。過去には平和・民主・革新の日本をめざす全国の会(全国革新懇)代表世話人等も務めていた。