矢嶋英敏
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1935年、群馬県前橋市に生まれる[1]。東京学芸大学附属中学校、東京都立青山高等学校に学び、ラジオや野球に没頭した[3]。東京大学理科二類(医学部)の受験に失敗し、慶應義塾大学文学部に入学[4]。独文科に学び、野球部に入部するが当時の野球部は中田昌宏をはじめレベルが高く、3か月で退部する[4]。大学4年時に米国の雑誌社に合格が決まるが、父の反対により辞退する[5]。
防衛庁調達実施本部副本部長(のち本部長)であった隣組の三原桂の紹介により、1957年防衛庁に入省[6]。輸入課契約係に配属される[6]。1959年、第二次世界大戦後初の国産旅客機・YS-11の開発のためこの年創立されたばかりの日本航空機製造株式会社へ移り、企画部調達課でロールス・ロイスとエンジン調達交渉にあたった[7]。また販売では西アフリカ地域を担当し、ソシエテ・ジェネラル・アリマンタシオン航空やガボン政府専用機としての売り込みに成功する[8]。1974年には営業部次長となったがYS-11の製造は中止され営業部が解散されると機体業務部次長に転任となった[9]。1976年に民間輸送機開発協会へ出向し企画部副室長に就任する[9]。
1977年島津製作所に入社し、航空機器事業部営業課専門課長として航空機部品の売り込みに奔走[10]。1986年営業部長[11]。1989年には貿易部長となり航空機器のみならず医用機器や分析機器の輸出も手がけることとなった[12]。1990年取締役航空機器事業部長となる[13]。1998年に社長に就任[14]。島津製作所社員でノーベル化学賞を受章した田中耕一のノーベル賞受賞決定の第一報を、アメリカ出張中に聞く。会社創設以来、27年ぶりに京都大学出身者以外の経歴で社長に登り詰め、赤字だった会社を奇跡のV字回復を達成させた[15]。
経歴
- 1935年 - 群馬県前橋市に生まれる
- 1950年 - 東京学芸大学附属世田谷中学校卒業。
- 1953年 - 東京都立青山高等学校卒業[17]。
- 1957年 - 慶應義塾大学文学部独文科卒業。
- 同年、防衛庁入省。輸入課契約係。
- 1959年 - 日本航空機製造入社。海外販売営業担当。
- 1977年 - 株式会社島津製作所入社。専門課長で入社。
- 1990年 - 取締役航空機器事業部長。
- 1994年 - 常務取締役[13]。
- 1996年 - 専務取締役[13]。
- 1998年 - 中途入社社員として初の代表取締役社長に就任[18]。
- 2003年 - 代表取締役会長。
- 2008年 - 取締役相談役。
- 2021年 - 死去。86歳没。
受章
その他役職
- 社団法人京都工業会会長
- 社団法人日本電気計測器工業会副会長
- 京都経営者協会副会長
- 日本経済団体連合会常任理事
- 京都商工会議所副会頭
- 社団法人関西経済連合会副会長
- 東京学芸大学附属世田谷中学校緑友同窓会会長
- 社団法人バイオ産業情報化コンソーシアム理事
- 社団法人日本電機工業会評議員
- 社団法人日本産業機械工業会理事
- 財団法人日本科学技術振興財団理事
- 社団法人日本航空宇宙工業会副会長
- 社団法人日本分析機器工業会会長
- 社団法人日本電気計測器工業会副会長
- 京都工芸繊維大学経営協議会委員