矢飼督之
From Wikipedia, the free encyclopedia
慶應義塾普通部を経て慶應義塾大学に進学。普通部から大学まで11年間、慶應義塾體育會蹴球部(ラグビー部)で活動。がっしりとした体格で足が速かったため、プロップ、フッカー、フランカー、センター、ウイングをこなした[3]。
1930年(昭和5年)5月、史上初となるラグビー日本代表カナダ遠征メンバーに選ばれる[4]。9月1日から27日までの7試合のうち、第1・3・4・6・7試合に出場。第6試合として、9月24日にカナダ、バンクーバーで行われた初めてのテストマッチとなるブリティッシュコロンビア州代表戦に左プロップ(背番号1)で出場した[5]。
その後、日本ラグビーフットボール協会財務理事、黒黄会(慶應義塾體育會蹴球部OB会)理事、昭和石油専務、日本精蠟社長などを務めた[3][6]。
逝去8年を過ぎた1982年(昭和57年)12月17日、日本ラグビーフットボール協会はテストマッチ出場選手にキャップを授与し表彰する制度の導入を決定。初テストマッチまでさかのぼって77試合254人の出場選手に対し、1983年(昭和58年)1月16日にキャップ授与が行われた[7]。当時 背番号1で出場した矢飼は、日本代表キャップ番号1番となった[2][8]