知立城

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築城主 永見貞春
主な城主 永見氏
廃城年 1560年(永禄3年)
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知立城
愛知県
知立古城址
知立古城址
築城主 永見貞春
主な城主 永見氏
廃城年 1560年(永禄3年)
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知立城(ちりゅうじょう)は、かつて三河国(現在の愛知県知立市)にあった日本の城知立神社の神主を代々つとめていた永見氏の居城であった[1]永禄3年(1560年)の桶狭間の戦い織田信長の軍に攻められ落城し、廃城となった。

永見氏は、もともと三河地方の土豪であり、知立神社の神主を代々つとめていた一族で、平安時代末期から朝廷配下の武士として頭角を現した。永見貞春は、保元元年(1156年)の保元の乱、続く平治元年(1159年)の平治の乱後白河天皇(のち法皇)の側について出陣している。もともとの知立城は、貞春により、居館の一つとして築かれたとされる。その後、永見氏は刈谷城の水野氏に従い、さらには松平清康今川義元と仕えていった。

永禄3年(1560年)、桶狭間の戦いで今川義元が討たれると、残存兵が知立城に逃げ込み応戦した。信長軍がこれを追って攻め込み、落城した。なお、今川家では義元の息子、氏真が後を継ぐも、9年後には駿河国遠江国を追放され、大名としての今川氏は終焉を迎えた。また、この混乱に乗じて松平家康(後の徳川家康)が自立し、三河を中心に勢力を強めていった。

天正年間(1573年-1592年)、永見氏に代わって知立城を支配した刈谷城水野忠重によって御殿が建てられ、寛永7年(1630年)には将軍上洛用として増築されるも、元禄12年(1699年)の大地震によって倒壊。その後再建されることはなかった。

現在

脚注

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