久須志神社
江戸時代には、天から降ってきた神様として信仰された。地元ばかりではなく、全国から行者が参拝に来た記録が残されている。久須志神社は眼病に霊験あらたかであるとされ、4月8日の祭りに際しては参詣者を当て込んで煮付けなどが売られるほどの賑わいであった[1]。
1689年(元禄2年)7月1日、弘前藩主津軽信政の異母弟である津軽兵庫信章が、湯治のため大鰐を訪れた後、石の塔参詣と称して一族郎党53人を引き連れ、夏越から久保田藩領へ出奔した(津軽兵庫信章越境事件)。石の塔から秋田県側は急勾配になっているため、実際には津軽兵庫は石の塔を迂回したと思われる。
1796年5月25日(寛政8年4月19日)、紀行家の菅江真澄が石の塔見物に山を登っている[1]。