石丸俊彦
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16歳で陸軍予科士官学校に入学する[2]。
1944年、陸軍士官学校を卒業し、歩兵部隊の少尉に任ぜられ、ビルマの戦地に送られる[2]。敗北で撤退の後、帰国して本土決戦要員に任じられた状態で日本の敗戦を迎えた[2]。当時の上官は敗戦が決まった後、「諸君らは生きて、この国を立て直して欲しい」と言い残して割腹自決したという[2]。
1951年、早稲田大学法学部(旧制)を卒業、同年司法修習生となる。1953年に判事補に任官した。
以降、裁判官として福岡地方裁判所、東京地方裁判所、最高裁判所調査官、司法研修所教官、裁判所書記官研修所長、佐賀地方裁判所所長等を歴任した。1985年、東京高等裁判所第5刑事部総括判事となり、母校の早稲田大学客員教授(刑事法)を務める。