石井梅蔵
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1896年(明治29年)石井梅蔵は石井家5代目として酒田市に生れる[4]。農機具の発明家・事業家で、立ったまま除草ができる人力用水田中耕除草機を作り、農民の重労働と危険を解消。人・動力兼用のフライホイル式カッターとして1928年(昭和3年)に特許を取得。世界最初のバインダー(稲麦刈取収束機)を1958年(昭和33年)に特許申請(1960年(昭和35年)に登録)。酒田発明協会長などを務める。1949年(昭和24年)、籾が目にささり負傷[5]。角膜移植を受けるが、1958年(昭和33年)全盲を宣告される。失明後、羽黒山五重塔、陽明門、金閣寺、平等院鳳凰堂、亀と兎などの工芸品を残している[4]。2003年、石井梅蔵記念館竣工[4][6]。