新堀村 (山形県)
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| にいぼりむら 新堀村 | |
|---|---|
| 廃止日 | 1954年12月1日 |
| 廃止理由 |
編入合併 酒田市、東田川郡新堀村、広野村、西田川郡袖浦村 → 酒田市 |
| 現在の自治体 | 酒田市 |
| 廃止時点のデータ | |
| 国 |
|
| 地方 | 東北地方 |
| 都道府県 | 山形県 |
| 郡 | 東田川郡 |
| 市町村コード | なし(導入前に廃止) |
| 面積 | 12.17 km2. |
| 総人口 |
4,500人 (国勢調査、1950年) |
| 隣接自治体 |
酒田市 飽海郡平田村 東田川郡余目町、広野村、栄村 西田川郡袖浦村 |
| 新堀村役場 | |
| 所在地 | 山形県東田川郡新堀村 |
| 座標 | 北緯38度52分06秒 東経139度52分37秒 / 北緯38.86842度 東経139.877度座標: 北緯38度52分06秒 東経139度52分37秒 / 北緯38.86842度 東経139.877度 |
| ウィキプロジェクト | |
- 河川:最上川、京田川
歴史
村名の由来
850年(嘉祥3年)に地震があり、最上川の流れが変わった。その際に危険が生じたため、川筋を新たに堀り変えたことから、新堀と呼ばれるようになった。[1]
年表
- 天正年間:落野目村が開村する[2]。
- 1584年(天正12年):丸沼村が開村する[3]。
- 1659年(万治2年):板戸村が杉山弓之助成一によって開発される[4]。
- 1889年(明治22年)4月1日:町村制の施行により、丸沼村、新堀村、落野目村、板戸村、木川村、局村および門田村の一部の区域をもって新堀村が発足。
- 1894年(明治27年)10月22日:庄内地震により、村内38人死亡[5]。
- 1916年(大正5年)5月25日:余目村との境界変更[6]。
- 1927年(昭和2年)3月:村内初のバス路線が、余目 - 新堀間で開通[7]。
- 1936年(昭和11年)5月30日:大字丸沼字鮭持沢と飽海郡南平田村大字砂越字中島の境界を変更[8]。
- 1954年(昭和29年)12月1日:酒田市に編入、同日新堀村廃止[9]。
地域
各大字内の箇条書きは、小字の名前を示す。小字の出典は『山形県地名録』258-259頁による。
大字新堀
大字門田
旧門田村のうち栄村へ編入していない地域である[10]。
- 門田
- 荒田
- 寿福
- 台ノ上
- 楯野
- 中ノ目谷地
- 錦
- 堀止
- 北田
- 南田
- 下田
- 宮前
- 村西
大字局
590年代に蜂子皇子が羽黒山へ訪れた際、蜂子皇子のお局は女人禁制である羽黒山には入れなかった。その際にお局がこの地に住んだことから、局の地名が名付けられたと言われている。[11]
- 局
- 末谷地
- 惣田
- 立野
- 西田
- 東田
- 南田
大字板戸
- 板戸
- 北大坪
- 大坪
- 北前
- 車田
- 土手前
- 中割
- 東田
- 福岡
- 道下
- 南田
大字落野目
- 落野目
- 荒川
牛洗川戸 ()- 加久地
- 前川
- 刈分
- 下ノ割
- 杉ノ崎
- 砂戸向
- 楯ノ畑
- 堤割
- 中割
- 灘ノ淵
- 西大割
- 大西田
- 西田
- 西畑
- 広野
- 古割
十寸穂 ()- 睦田
大字木川
- 木川
- 荒興屋
- 一本木
- ヲソノ
- サハタ
- 堰中瀬
- 西中道
- 東中道
- 八幡田
- 松ノ里
- 水尻
- 櫓
- 横枕
大字丸沼
- 丸沼
- 小楯
- 鮭持沢
- 島ノ内
- 大師谷地
- 中島
- 西田
- 二枚田
- 中サビ
- 東サビ
- 鮭沼
- 宮前
行政
村長
| 代 | 氏名 | 就任年月 | 退任年月 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 1 | 阿部孫左衛門(初代) | 1889年(明治22年)6月 | 1893年(明治26年)6月 | 町村制施行 |
| 2 | 山木孫左衛門 | 1893年(明治26年)6月 | 1897年(明治30年)6月 | |
| 3 | 白山小膳 | 1897年(明治30年)6月 | 1901年(明治34年)6月 | |
| 4 | 鈴木文治 | 1901年(明治34年)7月 | 1909年(明治42年)7月 | |
| 5 | 阿部孫左衛門(2代) | 1909年(明治42年)7月 | 1910年(明治43年)12月 | |
| 6 | 百瀬俊清 | 1911年(明治44年)2月 | 1915年(大正4年)3月 | |
| 7 | 白山小膳 | 1915年(大正4年)3月 | 1927年(昭和2年)8月 | 再任[13] |
| 8 | 加藤康吉 | 1927年(昭和2年)8月 | 1945年(昭和20年)10月 | |
| 9 | 柿崎正男 | 1945年(昭和20年)10月 | 1947年(昭和22年)1月 | |
| 10 | 山木武夫 | 1947年(昭和22年)4月 | 1954年(昭和29年)11月 | 新堀村廃止 |
水道
当村の井戸水は鉄分が多く錆臭かったため、飲用には適さなかった。川から水を運ぶ手間から「新堀には嫁に行くな」とも言われた。1922年に、最上川の伏流水を水源とする、濾過槽や滅菌装置のない簡易水道が竣工したが、数年後には水道からも鉄分が出てきた。パイプ掃除をしても治らず、飲料水は再び最上川から運び、水道水は雑用に使用された。酒田市に合併された後の1956年には本格的な簡易水道が設置されたものの、再度鉄分が出てきた。1958年8月に鉄分の濾過を行う施設が設置された。