石原一子
From Wikipedia, the free encyclopedia
満州国大連市生まれ。父は南満州鉄道勤務。1952年、東京商科大学(現一橋大学)卒業。大学では山田雄三教授のゼミナールに所属し、教授の紹介で東京銀行(現東京三菱銀行)へ就職するつもりだったが、紹介先の取締役が急逝し、当時は珍しかった男女同一賃金制度を採る髙島屋に入社[1]。
1954年にゼミナールの先輩である石原英雄(のちに朝日新聞西部本社代表取締役社長)と結婚し、2人の子供を育てながら仕事を続け、婦人服第2部課長等を経て、1979年に取締役に選任され広報室長に就任[2]。従来、男性がついてきたポストに、女性が就くことには抵抗があったため、新設の広報室長を委嘱された。
1981年のダイエーと髙島屋の業務提携の際には、ダイエーが髙島屋株を取得したとの情報をいちはやく入手し、同年、常務取締役に昇格した[3]。後に同社で女性初の代表取締役となった肥塚見春(Dear Mayuko社長)が夫の転勤で退社したとき、再雇用制度を創設。2年後、肥塚は制度適用第1号として再雇用されて復帰した。
55歳から毎朝1時間半英会話の勉強を始め、1986年ハーバード大学ハーバード・ビジネス・スクールAMP修了。同年奥谷禮子らとともに女性初の経済同友会会員となる[4]。
1986年に夫と死別。飯田新一社長から疎まれ経営の本流から外れ、1987年退社。その際には、「女としては異例の常務にしていただいた」と述べ、感謝の意を表した[3]。退社後は、香港の婦人服専門店トピーインターナショナルの日本法人トピージャパンの副社長や[5]、 ギャップ・ジャパンの特別顧問等を務めた。また財団法人東京女子大学後援財団理事長、財団法人日本女性学習財団評議員、独立行政法人農業環境技術研究所顧問、経済同友クラブ理事等も歴任。このほか、国立市に住む市民活動家として、東京海上跡地から大学通りの環境を考える会代表を担い、国立マンション訴訟に関わった。
1980年エイボン女性年度賞女性大賞、1985年日本貿易振興会輸入促進事業協力貢献者・企業に対する感謝状、1987年日本能率協会マーケティング功労賞、2005年経済産業大臣賞を受賞。