石川清隆
From Wikipedia, the free encyclopedia
子孫
天正9年(1581年)、三河国で加藤嘉明に仕えていた石川隆次の長男として生まれた。母は加藤教明の娘であり、加藤嘉明の甥にあたる。
慶長5年(1600年)、嘉明の甥にあたることから、徳川家に人質として預けられる。
慶長8年(1603年)、加藤嘉明に仕え、1500石を与えられる。
慶長11年(1606年)、江戸城の普請に参加する。
元和元年(1615年)、加藤嘉明とともに大坂夏の陣に参戦。その後、会津藩において番頭→家老と勤め2000石を与えられる。
寛永20年(1643年)、加藤家において会津騒動が起こり浪人となる。
正保元年(1644年)、山内忠義に呼ばれ土佐藩にて仕官する。妻は山内家家臣の野中益継の娘(山内一豊の姪にあたる)であったことによる縁である。
承応4年(1655年)、土佐にて病死する。
加藤家において会津騒動が起こったため、石川家の多くは清隆ついて土佐の山内家に仕官している。石川家は土佐藩において幕末まで仕え続けている。会津騒動後も加藤家では清隆の末子が仕え、代々加藤家の家臣として水口藩にて幕末まで仕え続けている。