石橋政方
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1840年(天保11年3月)、肥前国長崎で代々通詞を務める家系に生まれる。1848年に稽古通詞となり、1855年に小通詞末席に昇格した[1]。
助十郎は職務のかたわらで英語を修めていく。 1858年9月10日には、米国軍艦ポーハタン号がこの年長崎へ3度目の寄港をした際、長崎奉行がポーハタンのジョサイア・タットノール提督に、幕府の公式通詞たちへの英語教授を要請。タットノールはポーハタン付きの牧師であるヘンリー・ウッドに教師に指名し、助十郎は9名いた生徒の一人として英学を学んだ[4]。
翌1859年5月に米国聖公会の宣教師ジョン・リギンズが来日すると、リギンズが教える立教大学の源流となる私塾で英学を学んだ[5]。同年、神奈川詰となり、外交交渉で活躍した[1]。
1862年(文久2年)から横浜英学所でアメリカ・オランダ改革派教会の宣教師サミュエル・ロビンス・ブラウンとともに日本人に英語を教える[1][5]。前年1861年には英日対訳語彙集である「英語箋」を編集、出版した[5][2]。
1864年には御勘定格通弁御用頭取に任じられる。
1868年以降、明治新政府に出仕し、外国官一等訳官、外務大訳官、同権少丞、同大書記官等歴任[1]。
1876年(明治9年)には、アーネスト・サトウ(駐日英国公使)と協力して『英語口語辞典』を編纂し、ロンドンで初版を出版した。続いて1879年(明治12年)に第2版を出版。1904年(明治35年)、1906年(明治37年)及び1919年(大正8年)には、ハムデン(Hobart Hampden, E. M.)とパーレット(Harold G. Parlett)によって第3版と第4版が大幅な増補改訂版として出版された。この第1版から第4版の辞書は、それぞれの時代において、日本語を学ぶ外国人を中心とした日本語学習だけでなく、日本人の英語学習にも多大な影響を与えた。特に第3版は、石井光治の研究(1974年、関西外国語大学)によると同時代の英和辞典と比べて断然優れた内容であり、斎藤秀三郎の『英和中辞典』の重要な参考本になったと言及されている[3][6][7]。また、1970年には、初版再版組(復刻版)である『英和俗語辞典』本文編(勉誠社,松村明/編)が出版されている[8][9]。
1893年に官を辞す。
