石田幹之助
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- 出生から修学期
1891年、千葉県千葉市で生まれた。麻布中学校から第一高等学校を経て、東京帝国大学文科大学東洋史学科に進み、1916年(大正5年)に卒業。
- 東洋学研究者として
卒業後は東京大学に残り、史学研究室副手となった。学術調査で当時の中華民国に渡り、モリソン文庫の受託・創設に当たった。後年その後身となった財団法人東洋文庫の発展に尽力した。
財団法人国際文化振興会で日本文化の海外紹介にも力を尽した。1942年(昭和17年)に國學院大學教授となり、1946年(昭和21年)に日本大学教授に転じた。 1950年(昭和25年)には、昭和天皇と香淳皇后に「唐代におけるイラン文化の東進について」と題して進講する機会を得た[2]。1962年に退職して再び國學院大學へ戻って教授となった。1959年(昭和34年)に学位論文『唐代文化に及ぼせるイラン文化の影響に関する二、三の研究』を日本大学に提出して文学博士の学位を取得[3]。1968年(昭和43年)、日本学士院会員に選出された[4]。
1974年(昭和49年)、急性肝炎のため自宅で死去。
受賞歴・叙勲
研究内容・業績
専門は東洋史。『長安の春』で知られる。