石田新太郎
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陸奥国田村郡三春町(現福島県田村郡三春町)生まれ[1]。中学校を卒業し、明治22年(1889年)上京して国民英学会に入り、明治24年(1891年)1月慶應義塾大学部文学科に入学し、明治26年(1893年)12月卒業。卒業後に上野図書館において独学で教育及び心理の二学を修めて、高等師範学校教授谷本富と論戦を開く。
明治30年(1897年)の春、陸軍士官学校に出仕し、校長・安東貞美少将の下にて教程編述に参与し、幾ばくもなく寺内正毅少将の幕僚として策をたすける。のちに東京陸軍幼年学校の教頭となるが辞職、明治32年の秋に広島陸軍幼年学校に赴任。明治34年(1901年)、田中敬一にしたがい台湾総督府国語学校教頭となる。明治44年(1911年)に朝鮮総督府視学官。のちに鎌田栄吉塾長を支え、慶應義塾の理事に就任した。
