石田雅彦
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川越工業高では2人いたエースピッチャーのうち左のエースであった。1985年春の関東大会で準優勝。夏は埼玉県大会決勝戦で5点リードを守りきれず、立教高校に逆転負け[1]。
社会人野球チームから内定が出ていたが、1985年のプロ野球ドラフト会議でロッテオリオンズから1位指名を受け入団。
しかし、プロでは2年目の春季キャンプで左肘の靭帯を部分断裂するなど、在籍9年間でリリーフでの2試合しか登板がなく、1994年に現役を引退[1]。引退後から現在までロッテの打撃投手を務めている[1]。
1アウトも取れなかったため、通算防御率が無限大という珍記録を残した(厳密には0で割ることはできないため無限大ではない。ゼロ除算参照。この記録を残した選手にはほかにブラッド・ツイドリーなどがいる)。
石田が引退した翌年に黒木知宏が入団。石田が着けていた背番号54を引き継いだが、黒木は後に球団から背番号をエースナンバーの18への変更を打診された際に拒否している。この理由は背番号が54に決まった際、石田に「お前の為に54番を温めておいたよ」と言われたのを黒木が恩義に感じていたためである[1]。なお、石田はその2倍の数である108を付けている。