石谷董九郎

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石谷 董九郎(いしがや とうくろう、1840年11月13日(天保11年5月[1][2][3])- 1908年明治41年)2月13日[2])は、明治期の実業家政治家衆議院議員、鳥取県会議長。

因幡国岩井郡恩志村[4]鳥取県[2]岩美郡本庄村[3]大字恩志村[1]を経て現岩美町恩志[4])で、大庄屋・石谷藤四郎の長男として生まれた[4]

1872年(明治5年)鳥取県第16区戸長に就任[1][2][3][4]。同県第五大区第五小区長、同第二大区副区長・凖15等出仕を歴任[1][4]。1876年(明治9年)鳥取県が島根県に合併し、1879年(明治12年)4月、島根県会議員となる[1][4]。1881年(明治14年)鳥取県が再置され、同年11月、鳥取県会議員に当選し、同副議長、同議長を務めた[1][2][3][4]。その他、岩美郡参事会員、徴兵参事員、地方森林会議員などにも在任した[1][2][3]

1894年(明治27年)3月、第3回衆議院議員総選挙(鳥取県第1区)で初当選し[5]、以後、第6回総選挙まで2回再選され、衆議院議員に通算3期在任した[2][3]。この間、中断していた山陰本線敷設工事の再開について尽力した[4]

実業界では、1897年(明治30年)鳥取県農工銀行設立委員となり[1]、同行設立後、頭取に就任[2][3][4]。また、1906年(明治39年)鳥取電灯の設立に参画し社長を務めた[2][4]

国政選挙歴

脚注

参考文献

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