広島県立忠海中学校卒業後[1][2]、広島県内の運送会社のノンプロチーム(会社名不明)に所属[1][2]。1949年11月に24歳で大阪タイガースへ入団[1][2]。入団から間もない11月16日の対阪急戦(明石)でプロ初登板・初先発[2]。初回から四球連発で痛打を浴び、1アウトもとれずに降板、4失点で敗戦投手となった[2]。「カーブも投げらない者を先発させるとは」と内外から批判され[2]、この先発起用が若林忠志監督退団の切っ掛けといわれる[2]。この後、一軍で登板することはなく、1951年に引退した。このため、石風呂の通算防御率は、算出不可能(無限大)となっている。