農業振興をテーマとする安城産業文化公園デンパーク
かつては安城が原や五ヶ野が原などとよばれる原野であり、小規模な開析谷で細々と稲作が営まれていた[1]。台地上は水の乏しかったため、ため池が数多く築かれ、ため池の延面積は488町歩、1町歩以上もある大きなため池は84か所にも上った[5]。
明治用水の上を走る自転車道
幕末には碧海郡和泉村(現在の安城市和泉町)の豪農である都築弥厚が用水の導入による新田開発を企てるが、既存の権益に固執する農民の妨害などに遭って失敗[1]。幕府から一部の開発許可を得ていたものの、都築は膨大な借金を背負ったまま失意のうちに亡くなった[5]。明治維新後には岡本兵松が都築の計画を引き継ぎ、別の方法で新田開発を計画していた伊予田与八郎も合流して、愛知県も関与した用水導入の計画を進めた[5]。1879年(明治12年)に着工し、1884年(明治17年)に明治用水が完成した[1]。
明治用水の導入で新田開発が進み、新たに8,800町歩の水田が開発されたほか、4,500町歩の水田が改良され、この台地の農業は目覚ましく発展した[1]。碧海台地では水田稲作を核として、養鶏・養蚕・野菜栽培などの農業も行われるようになった[1]。多角化された農業を農業先進国のデンマークになぞらえ、碧海台地または安城市は「日本デンマーク」と呼ばれている[1]。