磯部晃一
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1980年(昭和55年)3月に防衛大学校(国際関係論、本科24期)を卒業後、陸上自衛隊に入隊。防大の同期生に番匠幸一郎、中谷元、田邉揮司良など。番匠、田邊とは陸将補・陸将ともに防衛大学校本科24期生の中で一選抜昇任を果たした。
陸上自衛隊では航空科部隊に配属、ヘリコプター・パイロットとして勤務。湾岸戦争時には外務省北米局米局安全保障課出向、その後統幕防衛計画部長、第7師団長、統合幕僚副長などの要職を歴任した。1996年、米国海兵隊指揮幕僚大学で軍事学修士を、2003年、米国国防大学で国家資源戦略修士をそれぞれ取得。
2015年(平成27年)8月、退官。
2017年(平成29年)7月、ハーバード大学アジアセンター上席研究員および一般財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブ上席研究員に就任。
その他、川崎重工㈱ストラテジック・コンサルタント、アジア・グループ(TAG)シニア‐・フェロー、NSBT Japanエグゼクティブ・ストラテジスト、中小企業庁認定イノベーション・プロデューサー、国際安全保障学会理事、陸上自衛隊日米豪共同指揮所演習YSアドバイザーなどに就任。
現在は“日本の安全保障ビジネスを、民間企業と自衛隊の新たな連携でイノベートする”を自身のミッションとして掲げ、一般社団法人「安全保障ビジネスイノベーション協会(SBIJ)」の代表理事として、官民連携による新たな安全保障体制の構築に取り組んでいる。
年譜

- 1989年(平成元年)8月:外務省北米局安全保障課出向(調査班付課長補佐)
- 1991年(平成3年)8月:陸上幕僚監部防衛部防衛課勤務
- 1995年(平成7年)3月:アメリカ海兵隊指揮幕僚大学留学、軍事学修士
- 1996年(平成8年)8月:陸上幕僚監部防衛部防衛課勤務
- 1998年(平成10年)3月:第9師団第9飛行隊長
- 1999年(平成11年)8月:陸上幕僚監部人事部補任課勤務
- 2000年(平成12年)8月:陸上幕僚監部教育訓練部訓練課演習班長
- 2002年(平成14年)3月:アメリカ国防大学留学、戦略修士
- 2003年(平成15年)8月:陸上自衛隊研究本部主任研究開発官
- 2003年(平成15年)12月:陸上幕僚監部防衛部防衛課長
- 2005年(平成17年)7月:陸将補に昇任
- 2006年(平成18年)3月:東部方面総監部幕僚副長
- 2007年(平成19年)3月28日:中央即応集団副司令官(国際担当)
- 2009年(平成21年)7月21日:統合幕僚監部防衛計画部長[2]
- 2011年(平成23年)8月5日:陸将に昇任、第7師団長に就任
- 2012年(平成24年)7月26日:統合幕僚副長
- 2013年(平成25年)
- 8月22日:第37代東部方面総監に就任
- 10月~11月:平成25年台風第26号において甚大な被害を被った伊豆大島災害派遣活動のための伊豆大島災統合任務部隊指揮官を務める[3]
- 2015年(平成27年)
- 2019年(令和元年)8月:初の著書となる『トモダチ作戦の最前線;福島原発事故に見る日米同盟連携の教訓』を彩流社より出版
- 2020年(令和2年):国際安全保障学会理事に就任
- 2023年(令和5年):磯部戦略研究所代表に就任
- 2025年(令和7年):一般社団法人「安全保障ビジネスイノベーション協会(SBIJ)」代表理事に就任
著書
大震災と原発事故という未曽有の大災害に自衛隊は約10万人を動員し、米軍も最大時1万6000人、艦艇約15隻、航空機140機が参加した。
平常の災害出動とは全く異なる、いわば“有事”ともいうべき事態に日米の政府、自衛隊・米軍は如何に対応したかを証言で克明に綴る。
- 『福島原発事故10年検証委員会 -民間事故調最終報告書-』(共著、2021年、ディスカヴァー・トゥエンティワン)第6章「ファーストリスポンダーと米軍の支援リスポンダー」を執筆。
- 『台湾有事のシナリオ』(共著、2022年、ミネルヴァ書房)第6章「台湾シナリオと南西諸島の防衛」を執筆。
- 『米国防大学に学ぶ国家安全保障戦略入門』(編訳、2023年、並木書房)米軍最高学府の国家戦略大学の戦略入門書を和訳して解説等を加えた。