磯野庸幸
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神奈川県橘樹郡大豆戸村(現・横浜市港北区大豆戸町)出身[9]。吉田吾山の四男で[1][注 1]、上郎清助の弟[4][10]。生家の吉田家は醤油醸造業を営んでいた。磯野國四郎の養子となり1920年、分家した[4][8]。
1900年、横浜商業学校を卒業し横浜正金銀行に入った[4]。陸軍三等軍吏に任ぜられ第1師団経理部部員として日露戦役に従軍、陸軍二等主計に任ぜられた[5]。輸出入商・丸二商会を起し経営した[5]。貿易商を営んだ[3]。
1928年の第16回衆議院議員総選挙(第1回普通選挙)で神奈川県第一区から立憲政友会所属で立候補して当選し、衆議院議員を一期務めた[2][11]。ジャパンモーター代表取締役[10]、上信銀行[12]、横浜市街自動車、東神冷凍工業、土地建物管理各取締役を務めた[4][10]。1934年、立憲政友会神奈川支部長に挙げられた[4]。
1938年6月24日、補欠選挙で互選され貴族院多額納税者議員に任じられ[13]、交友倶楽部に所属して活動し、1946年5月14日に辞職した[14][15]。その後公職追放となる[16](1951年追放解除[17])。
戦後神奈川相互銀行会長[1]、ラジオ関東社長、横浜商工会議所会頭を歴任した[2]。1964年、勲二等瑞宝章受章[2]。1965年、横浜文化賞受賞。1981年、102歳で亡くなった。
人物
家族・親族
著作
- 『我が人生』神奈川新聞社、1978年。
