上郎清助
From Wikipedia, the free encyclopedia
武蔵国橘樹郡大豆戸村(現・横浜市港北区大豆戸町)出身。吉田三郎兵衛の弟[9][注 1]で、磯野庸幸、上郎新二の兄[7][13]。生家の吉田家は屋号を「堀上(ほりあげ)」といい、天保年間より醤油の醸造をしていた[14]。1893年[3]、上郎幸八の女婿となる[9][15]。1905年、分家して一家を創立する[5][7][9]。
東京大学予備門を経て[11]、1890年、帝国大学法科大学政治学科を卒業した[16]。太田醤油製造会社を起こし他に銀行会社の重役となった[7]。神奈川県多額納税者に列し1927年、貴族院多額納税者議員に互選され、同年8月15日に就任し[17]、1932年、再選された[7]。研究会に所属して活動し、死去するまで在任した[2]。
横浜中央銀行、上信銀行各頭取[1][7][11][18]、横浜信託社長[3][15]、日本共立火災保険、東洋醸造各取締役[7][18]、千代田機械製靴、京浜電気鉄道、富国徴兵保険各監査役などをつとめた[7]。
