いソノてルヲ
日本のジャズ評論家 (1930-1999)
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生涯
慶應高校及び慶應義塾大学法学部政治学科に学び、慶應義塾大学ライトミュージックソサエティ創設間もない時期のメンバーとして在学中から音楽評論活動を手掛けた[2]。卒業後、駐日アメリカ合衆国大使館に勤務した時期を経て、評論家としての活動を本格化させ、『ミュージック・ライフ』や『スイングジャーナル』などに寄稿した[1]。
ジャズ・ミュージシャンのコンサートの司会を務めることも多く、マイルス・デイヴィス[3]や、ウェザー・リポート[4]などの実況録音盤に、いソノのMCが残されている例がある。 また、長くラジオ番組で、選曲や構成を担当し、ラジオパーソナリティを務めることもあった。特にNHK-FM放送の番組「ウィークエンドジャズ」や「ゴールデンジャズフラッシュ」には関わりが深かった[5]。
また、一時期は自由が丘で「5(ファイブ)スポット」というジャズ・クラブを経営していた[1][6][7]。墓所は雑司ヶ谷霊園。
自身の次男であり、衆議院議員を務める手塚仁雄は早稲田大学本庄高等学院一期生として入学時期に、自身の妻・博子の実父で法政大学野球部捕手だった手塚栄一と養子縁組。栄一は近鉄球団初代監督藤田省三_(野球)と、自身は大橋巨泉と大親友だった。
おもな著書
- ジャズクラブ、音楽之友社(音楽新書、1956年)