手塚栄一
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馬主活動

日本中央競馬会(JRA)および地方競馬全国協会(NAR)に登録していた馬主としても知られた。勝負服の柄は赤、袖黄三本輪。冠名には、「ア」が五十音の一番最初で調教用のゼッケンの番号が若いものがもらえるということや、朝は「一日の始まりだし、気持がいい」という理由から[3]「アサ」を用いた[注釈 1]。
父の実家が軍馬の生産や育成を手掛けており[2][3]、幼いころから馬に親しんできた手塚は1951年6月18日に馬主登録を行う[2]。そのきっかけは、かつて自身は野球をやっていたものの年齢とともにスポーツをすることが厳しくなっていき、自分の気持ちを馬に乗せて走らせたいと考えたことであったという[3]。また海外志向を持っていた手塚は、前段注釈内で述べたタイとの交流に限らず、所有馬をアメリカで走らせたり、種牡馬としてアサデンコウをマレーシアに寄贈するなど海外での競馬に関する活動を積極的に行った[3]。