礒山雅
日本の音楽学者
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来歴
東京都に生まれ、長野県で育つ。長野県松本深志高等学校を経て、東京大学文学部美学科を卒業し、同大学院美学藝術学博士課程を満期退学した。[要出典]
1977年に国立音楽大学助教授に就任する。1982年 - 1984年にはミュンヘン大学へ留学した。教授に昇格し、図書館長や音楽研究所所長も務めた。[要出典]
1990年の開館より住友生命いずみホール音楽ディレクターを務める[3]。2006年から2012年まで日本音楽学会会長、2015年には藝術学関連学会連合会長をそれぞれ歴任した。サントリー芸術財団理事や日本芸術文化振興会評議員の役職も務めた。[要出典]
2018年1月27日に雪で足を滑らせ頭を打ち、同年2月22日に外傷性頭蓋内損傷のため死去(満71歳没)[4]。前年10月に完成した博士論文『バッハの《ヨハネ受難曲》——その前提、環境、変遷とメッセージ』の口述試験を前日に終え、『マタイ受難曲』の改訂版とともに出版準備作業に取り掛かっていた矢先の死去だった。博士論文は国際基督教大学の審査に合格し、遺族が代理で博士号(Doctor of Philosophy)の授与を受けた。遺著『ヨハネ受難曲』は2020年に出版された。[要出典]
著書
- 『バッハ=魂のエヴァンゲリスト』東京書籍 1985/講談社学術文庫 2010
- 『モーツァルトあるいは翼を得た時間』東京書籍 1988/「モーツァルト=翼を得た時間」講談社学術文庫 2008
- 『バロック音楽 豊かなる生のドラマ』日本放送出版協会:NHKブックス 1989/ちくま学芸文庫 2020
- 『J.S.バッハ』講談社現代新書 1990
- 『マタイ受難曲』東京書籍 1994/ちくま学芸文庫 2019
- 『モーツァルト 二つの顔』講談社選書メチエ 2000/「モーツァルト」ちくま学芸文庫 2014
- 『バッハ・カンタータの森を歩む 1 マリアの3祝日』東京書籍 2004
- 『バッハ・カンタータの森を歩む 2『マタイ福音書』によるカンタータ』東京書籍 2006
- 『バロック音楽 名曲鑑賞事典』講談社学術文庫 2007
- 『「救済」の音楽 バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、ワーグナー論集』音楽之友社 2009
- 『バッハ・カンタータの森を歩む 3 ザクセン選帝侯家のための祝賀音楽/追悼音楽』東京書籍 2009
- 『ヨハネ受難曲』筑摩書房 2020
- 『礒山雅随想集 神の降り立つ楽堂にて』アルテスパブリッシング 2020
共編著
翻訳
- エマーヌエル・ヴィンターニッツ『楽器の歴史』皆川達夫共訳、PARCO出版局、1977年
- ディーター・ブルーム写真 エマーヌエル・エッカルト文『ザ・オーケストラ 帝王カラヤンとベルリン・フィルの全貌』インターフェース、1984年
- アントン・ノイマイヤー『ハイドン/モーツァルト 現代医学のみた大作曲家の生と死』大内典共訳、東京書籍、1992年
- クリストフ・ヴォルフ/トン・コープマン編著『バッハ=カンタータの世界』全3巻 監訳 東京書籍、2001-2002年
- ニール・ザスラウ『モーツァルトのシンフォニー コンテクスト演奏実践受容 1』監修・訳 永田美穂訳、東京書籍、2003年
- ニール・ザスラウ『モーツァルトのシンフォニー コンテクスト演奏実践受容 2』監修・訳 若松茂生訳、東京書籍、2003年
- クリストフ・ヴォルフ『バッハ ロ短調ミサ曲』春秋社、2011年
- クリストフ・ヴォルフ『モーツァルト最後の四年 栄光への門出』春秋社、2015年