祓川正敏
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大分商業では渡会純男とバッテリーを組み、2年次の1955年には秋季九州大会県予選で決勝に進むが、日田高の梅野慶志に完封を喫し敗退。その後も県予選で敗れ甲子園には出場できなかったが、卒業後の1957年に渡会と共に南海ホークスへ入団。3年目の1959年は50試合に登板し、4月から6月にかけて9連勝するなど、杉浦忠の38勝に次ぎチーム2番目の18勝を挙げ[2]、リーグ優勝に大きく貢献。同年の巨人との日本シリーズでも、第1戦で杉浦をリリーフして登板。1960年も8勝を記録するが、それ以降は成績が低下。巨人との1961年の日本シリーズでは、第2戦は先発で登板するも苦しいピッチングとなり3回で降板。シュート、カーブを武器としたが、1962年限りで現役を引退。