神中糸子

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神中 糸子(じんなか いとこ、1860年12月2日万延元年10月20日[1]1943年昭和18年)2月4日[1])は、日本の洋画家。

和歌山県海草郡雑賀村(現・和歌山市)生まれ[2][3]。父は紀州藩士・陸軍士官学校教官を務めた神中義次、母は紀州藩御用絵師の笹川遊泉の娘・増で、7人きょうだいの4番目(三女)[1]

1877年工部美術学校に入学するが、1880年退学。1881年より小山正太郎の私塾で学んだ。1887年明治女学校で洋画講師嘱託となり、1894年まで勤めた。また、戸田伯爵家の絵画の家庭教師も務めている。1907年から私立日本女子美術学校(東京都立忍岡高等学校の前身)で西洋画科講師嘱託となり、1910年から1914年までは東京女子高等師範学校図画講師嘱託を務めた[1]

画業では、1903年に第5回内国勧業博覧会へ「酒樽」を出品して褒状を受け、1907年には第1回文部省美術展覧会(文展、日展の前身)に「静物」を出品して総理大臣買い上げとなった[1]

1926年頃からは画業を引退し、短歌の創作をして過ごした。1943年2月4日、神戸市において死去[1]

脚注

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