神花山古墳
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位置
北緯33度54分38.23秒 東経132度3分31.20秒 / 北緯33.9106194度 東経132.0586667度座標: 北緯33度54分38.23秒 東経132度3分31.20秒 / 北緯33.9106194度 東経132.0586667度
形状
前方後円墳
規模
墳丘長30.3m
高さ2.5m(後円部)
高さ2.5m(後円部)
| 神花山古墳 | |
|---|---|
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墳丘(右に後円部、左奥に前方部) | |
| 所在地 | 山口県熊毛郡平生町大字佐賀字田名沖[1] |
| 位置 | 北緯33度54分38.23秒 東経132度3分31.20秒 / 北緯33.9106194度 東経132.0586667度座標: 北緯33度54分38.23秒 東経132度3分31.20秒 / 北緯33.9106194度 東経132.0586667度 |
| 形状 | 前方後円墳 |
| 規模 |
墳丘長30.3m 高さ2.5m(後円部) |
| 埋葬施設 | 箱式石棺 |
| 出土品 | 人骨・鏡片・勾玉・埴輪 |
| 築造時期 | 5世紀前半 |
| 被葬者 | 20代女性1人 |
| 史跡 | 山口県指定史跡「神花山古墳」 |
| 地図 | |

古墳の所在する神花山
山口県南東部、熊毛半島付け根の平生湾に面する独立丘陵の神花山(標高39メートル)の頂部に築造された古墳である[1][2]。付近では阿多田古墳・野稲古墳(消滅)の分布が知られる[3]。戦時中に石棺が発見され人骨が出土しているほか、1988年(昭和63年)に発掘調査が実施されている[1]。
墳形は前方部が開かない柄鏡式の前方後円形で、前方部を東方向に向ける[1]。墳丘外表では、埴輪片(円筒埴輪・朝顔形埴輪)のほか葺石が認められる[1]。埋葬施設は薄板石による箱式石棺で、墳丘主軸に直交して長さ1.75メートル・幅0.37メートル・深さ0.35メートルを測る[4]。前述のように戦時中に棺中から人骨が出土しており、人骨は占領軍によりニュージーランドに移されたのち頭骨のみが返還され、その後の調査で20代女性と判明している(出土当時は壮年男性と想定)[1][2]。棺内では赤色顔料も認められるほか、鏡片・勾玉が出土している[4]。
築造時期は、古墳時代中期の5世紀前半[5][2](または5世紀初頭[1])頃と推定される。熊毛地域では白鳥古墳(山口県で最大規模の古墳)・柳井茶臼山古墳・阿多田古墳などの築造も知られ、これらは一連の首長墓系譜をなすとされる[5]。また女性人骨の出土例としても重要視される古墳になる[2]。
古墳域は1982年(昭和57年)に山口県指定史跡に指定されている[6]。現在は史跡整備のうえで公開されているほか、出土人骨の復顔像が平生町歴史民俗資料館に展示され、現地でもそれを基にした女王像が建てられている。
遺跡歴
墳丘

後円部墳頂
中央に箱式石棺(複製)。背景に平生湾。墳丘の規模は次の通り[1]。
- 墳丘長:30.3メートル
- 後円部
- 直径:16.6メートル
- 高さ:2.5メートル
- 前方部
- 幅:9.6メートル
- 箱式石棺(複製)
- 前方部から後円部を望む
- 後円部から前方部を望む
文化財
山口県指定文化財
- 史跡
- 神花山古墳 - 1982年(昭和57年)11月5日指定[6]。
