神谷忠
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1950年代後半から1960年代前半にホンダの社員ライダー(ブルーヘルメットMSCに所属[4])として「浅間山レース大会」やクラブマンレースに参戦。1962年鈴鹿サーキット開業時の初開催ロードレースでは50ccと125ccの2クラスでポールポジションを獲得するなど、国内ロードレース黎明期に活躍[3]。
レーサー現役引退後はMFJ役員のかたわら、サーキットでのレーシングスクール講師として後進の育成に尽力する[3]。本田技術研究所勤務時には2輪車の回避運動、高速操縦安定性についての研究を発表し、アメリカ交通安全学会よりスペノ賞受賞。NRロードレーサー開発試験研究に携わる。
HRCモトクロスチーム初代監督を務めた後、1982年に退職。有限会社神谷創作設計研究所 代表取締役に就任[1]。
(本項目は、特記以外は『図解雑学 バイクのしくみ』を参考文献とする)