神谷忠

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神谷 忠(かみや ただし、1939年1月5日 - )は、元MFJロードレース小委員会副委員長[1]、1965年の全日本ロードレース選手権90ccクラスチャンピオン[2]埼玉県出身、身長161cm[3]

1950年代後半から1960年代前半にホンダの社員ライダー(ブルーヘルメットMSCに所属[4])として「浅間山レース大会」やクラブマンレースに参戦。1962年鈴鹿サーキット開業時の初開催ロードレースでは50ccと125ccの2クラスでポールポジションを獲得するなど、国内ロードレース黎明期に活躍[3]

レーサー現役引退後はMFJ役員のかたわら、サーキットでのレーシングスクール講師として後進の育成に尽力する[3]本田技術研究所勤務時には2輪車の回避運動、高速操縦安定性についての研究を発表し、アメリカ交通安全学会よりスペノ賞受賞。NRロードレーサー開発試験研究に携わる。

HRCモトクロスチーム初代監督を務めた後、1982年に退職。有限会社神谷創作設計研究所 代表取締役に就任[1]

(本項目は、特記以外は『図解雑学 バイクのしくみ』を参考文献とする)

主な著書

参考文献

脚注

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