禅雲寺
From Wikipedia, the free encyclopedia
曹渓宗(大韓仏教曹渓宗)は寺の創建を577年(百済威徳王24年)としている[1]。曹渓宗は百済の寺と認識しているが、新羅の真興王が創建したとの説もある。1707年に書かれた『兜率山禪雲寺創修勝蹟記』によると、真興王が王位を辞した初夜に左邊窟(真興窟)で寝た際、夢の中で弥勒三尊仏が岩を破って出るのを見たのに感動し、重愛寺を創建したが、それがのちの禅雲寺であるとする。
李氏朝鮮の太宗による1407年(太宗7年)の仏教弾圧の際、存続を許された88寺院の中に長沙禅雲寺の名前があり、禅雲寺は存続を許された。なお長沙禅雲寺の宗派は天台宗になっている。しかし世宗による1424年(世宗6年)の仏教弾圧の際は、存続を許された36寺院の中に名前がなく、廃寺になったようである。
日明戦争の際に消失したが、1614年(光海君6年)から6年かけて再建された。
地元の子供と文化人を招いた文化祭「椿の花祭り」を行われている[2]。