福原五岳
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逸話
京都に上り、池大雅に入門。大雅門第一位と評される。同門には青木夙夜・池野観了など。大坂に移り、大雅の画風を広め、大坂画壇の隆盛に一役買った。人物図は彭城百川以来の名手と評され、山水図も得意とした。懐徳堂や混沌詩社の名流と交友。三宅春楼・中井竹山・片山北海・頼春水・木村蒹葭堂・葛子琴・細合半斎・慈雲・蔀関月などである。
安永頃に北渡部町に住み、寛政頃から本町に住んだ。寛政11年(1799年)、70歳にて歿し、下寺町源聖寺に埋葬される。
門下に林閬苑・岡熊嶽・浜田杏堂・鼎春嶽・黒田綾山・岡本豊彦・広瀬臺山・平田玉蘊、松本奉時などがいる。
五岳は酒をこよなく愛し、楽聖堂の号も、中国故事の飲中八仙歌に因んだという。あるとき京都の五岳の家で大雅と高野山に出立しようと身支度をしていると、偶然、頼春水が訪ねてきたことがあった。そのまま五岳の家で酒盛りが始まり、いつまで経っても酒を飲み続け一向に旅に出ようとしなくなったのでさすがの大雅も閉口し、「楽聖福先生 倒樽日為度 倒樽又倒樽 倒樽終無度」と嘆詠したと言われる。
